昨年は、終戦から70年目の節目の年でありました。そして、今年は「日本国憲法」が公布されてから70年目の節目の年であります。それで、今回は日本国憲法について少し書いてみます。
日本国憲法成立の法的問題点
日本国憲法が施行されたのは、昭和22年5月3日です。5月3日は「憲法記念日」ですから、皆様よくご存知だと思います。では、「公布」されたのはいつかと申しますと、施行から半年前の昭和21年11月3日であります。11月3日は「文化の日」ですが、以前は「明治節」といって明治天皇のお誕生日でありました。今年の11月3日に「日本国憲法」は、70年目の節目の年を迎えることになります。「日本国憲法」の前の憲法は何かといいますと、ご存知「大日本帝国憲法」であります。我が国の近代憲法はこの二つしかありません。では、「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」は別々のものかというと実は「法的」にはそうではなく、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」が改正されたものなのです。つまり、「法的」にはこの二つの「憲法」には連続性がある(はずな)のです。「日本国憲法」は補則を入れて全部で103条からなっていて、その前に「前文」が置かれています。大体、学校で習う「憲法」はこの103条の条文と「前文」だけということが多いようですが、本当は、この「前文」の前に「上諭」という文章がついています。「上諭」には次のように記されています。「朕は、(中略)帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、これを公布せしめる」。「朕」とはいうまでもなく天皇陛下のことであります。つまり、「日本国憲法」は帝国憲法の規定に基づき、天皇陛下が公布したものだと書いてあるのです。私たちは、学校で「大日本帝国憲法」は「欽定憲法」で「日本国憲法」は「民定憲法」だと習いました。ところが、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の規定に基づき、帝国議会の議決を経て、天皇が公布したものだというのです。ちなみに、大日本帝国憲法第5条は「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」と規定されています。すなわち、「日本国憲法」は立法権を持つ天皇により、帝国憲法の規定に基づき、帝国憲法を改正したものとして公布されているのです。つまり、「大日本帝国憲法」は、廃止されたのではなく、「改正」されたものとして「公布」されたのです。ところが、「上諭」を読んでから「前文」を見るといきなりその内容のギャップに驚きます。「大日本帝国憲法」にはいなかった「国民」という存在がいきなり現れて(大日本帝国憲法では「臣民」と規定されている)、いきなり、「主権者」であるといい、この「国民」が憲法を制定したというのです。これは、「大日本帝国憲法」を「改正」したという建前を取っている「日本国憲法」にとって、いきなり大きな矛盾点となりました。法的手続としては、「大日本帝国憲法」との連続性をとりながら、法的内容では、連続性を認めにくいものとなっているのです。そこで、有名な「8月革命説」という学説が登場します。「8月革命説」は大日本帝国憲法が「天皇主権」を基本原理としていることから、この基本原理に真っ向から対立する国民主権主義を定めることは、「法的」には「不可能」だとし、「不可能」なことが起こったということは、一種の「革命」があったのだと説きます。すなわち、我が国はポツダム宣言を受諾したことにより、「法的に一種の革命が起きた」というのです。この「革命」によって天皇主権が否定され、国民主権が成立し、その下で「日本国憲法」は成立したと解釈しています。つまり、通常の法理論では解釈できない超法理論である「革命」などというものを持ち出さなくては説明できないのが、我が国の基本法である「日本国憲法」成立についての法的解釈なのです。この学説は宮沢俊義教授という大学者によって主張された学説で、今でも多く支持されている考え方です。私は、大学で始めてこのことを学んだとき「憲法学」に対して大きな「失望」を感じました。なぜなら、「憲法学」とは既存の憲法を「有効」にするための「理屈」をこねている「学問」だと感じたからです。純粋にに考えて「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」が「法的」連続性を認められない内容であれば、その改正手続によって成立した「大日本帝国憲法」の改正憲法である「日本国憲法」は「無効」であるはずなのです。しかも、「日本国憲法」が成立した70年前の我が国は、占領下にあり、独立国としての主権が回復されていませんでした。占領下にあり独立国としての主権がない状態で、占領軍の強い影響力のもとに国家の最高法である憲法を改正すること自体本来許されないはずです。しかしながら、敗戦国であり、ポツダム宣言を受諾した状況では、そのような通常なら「あり得ない」ことが実際におこり、憲法学者は、その既成事実を正当化するために、法的にはかなり「無理」のある「学説」を主張したわけです。このように、「日本国憲法」は、その「成立の段階」からかなり「いわく付き」であるといえます。ところが、このような憲法成立に関する重要なプロセスは、大学での「憲法」や「憲法制定史」などを学ぶまでは、中学でも高校でもしっかりと学ぶ機会さえないのが現状だと思います。私は、行政手続の専門家である行政書士として、法的「プロセス」「手続」というのを大変気にしています。行政手続においては、たとえ「結果」が良かったとしても、その「プロセス」が違法であれば、「無効」や「取り消し」の対象となります。日本国憲法について、「成立過程はどうであれ、内容が良いんだから良いのだ! !」と主張される方がおられますが、いくら「内容」が良くても、その成立過程に大きな「瑕疵」が存在するとしたら、それは看過できない問題であると思っています。
憲法改正について
自由民主党は、「憲法改正」「自主憲法制定」を結党以来の党是としています。自由民主党も昨年結党60年をむかえました。皆様も日本国憲法公布から70年目の今年、もう一度「日本国憲法」をお読みになってみてはいかがでしょうか? 前述しましたように、「上諭」「前文」と103条しかありません。すぐに読めます。加えて、是非、「憲法制定」に関する書籍もお読みいただきたいのです。学校で習わなかった興味深い事実を発見されることと思います。「憲法」は国家の大典でありますが、所詮人間が作ったものであり「不磨の大典」というものでは決してありません。国家の基本法でありますから、軽々に改正するのは良くないでしょうが、決して改正しないものではありません。むしろ憲法は時代と必要に応じて「改正」されるべきものです。諸外国でもそのように運用されています。まずは、日本国憲法公布から70年の節目の年である今年、憲法をもう一度学ばれることをおすすめします。そして、ご家族、お友だちと「憲法」について話し合っていただければ大変有り難いです。大和市議会は、平成26年12月定例会において「国会における憲法論議の推進と国民的議論の喚起を求める意見書」を採択し、国に対して憲法論議の活発化を求めました。今年一年「憲法」についての建設的な議論が我が国の、そして、大和市のあちこちで行われることを期待します。