No.222 2月1日は「市制記念日」です

大和市は、昭和34年2 月1日に市制が施行され、今年で62年目を迎えました。私が子どもの頃は、「市制記念日」は学校もお休みで、子どもたちは皆2月1日が「市制記念日」だということを知っていました。子どもの「学校が休み」な訳ですから、当然、お父さんもお母さんも「市制記念日」がいつかを知っていました。学校が休みで無くなり、いつしか、「市制記念日」がいつかも忘れられつつあり、以前学校の先生に聞いてみても、ご存知ない先生もいたくらいです。「これは良くない」と「一般質問」で取り上げ、まずは学校で「市制記念日」についてちゃんと教えてもらうようにしました。大和市のように、多くの地域からさまざまな方が集まって出来ている「まち」では、「市民」としてのアイデンティティを共有することが難しい場合があります。どこ出身でも、外国人でも「大和市民」なのだというアイデンティティを持つ上で、大和市の「誕生日」である「市制記念日」を共有することは大変重要であると考えます。今回は、「大和の歴史」を軽く振り返ってみます。もし、興味がわいてきましたら、昨年発行された「大和市の歴史」をご参照下さい。

〇縄文時代の遺跡〜つきみ野遺跡〜

かつて、我が国には一万年もの間戦争のない平和で豊かな時代がありました。縄文時代です。縄文時代は、その名のとおり「縄」の文様のある「縄文式土器」で特徴づけられる時代です。ただ、草創期の土器にはまだ「縄」の文様の無いものもあり、本市北部のつきみ野遺跡からは、縄文時代草創期の土器片が出土しています。日本最古級の土器片です! !今から、一万年以上も前の大和には、既に人が暮らしていたというのは凄いことではないでしょうか。この土器片は、以前つきみ野の「つる舞の里歴史資料館」に展示されていましたが、より多くの方に観ていただけるようにとの私からの提案で、現在はシリウスに展示してあります。機会があれば、是非ご覧になって下さい。一万年前の「大和市民」が使ったものです。感動します! !縄文時代は約一万年も続いた時代です。縄文時代の次の時代である弥生時代から現代までが三千年ぐらいですから、縄文時代の一万年がどれほどの長さだったか、容易に想像すらできません。その長い時代に「戦争」が無かったというのも驚嘆すべきことです。つきみ野遺跡は、縄文時代草創期の「遺跡」として大変重要な場所ですが、平和な時代であった縄文時代の遺跡として、「平和都市宣言」をしている大和市を象徴する遺跡であると思います。

〇渋谷の荘と渋谷重国

平安時代末から鎌倉時代初期にかけて、本市南部は「渋谷の荘」という荘園の一部であり、渋谷重国という平家の一族である武士が在地領主として治めていました。渋谷重国は「河崎の荘(川崎市)」から移ってきて、初期の館は藤沢市の長後天満宮あたりにあったといわれています。その後、渋谷一族は、本市南部から綾瀬市、海老名市の方に勢力を広げ、鎌倉幕府の歴史書である「吾妻鏡」は重国のことを「相模の大名」として紹介しています。渋谷重国とその一族は、鎌倉幕府成立にも大きな役割を果たしましたが、いま一つマイナーです。昨年の暮れに、本市南部地域の議員有志で「大和市渋谷荘議員連盟」を結成しました。今後、渋谷一族の歴史を学び、後世に伝えるよう努め、さらには、渋谷一族ゆかりの自治体とも交流しながら、シティーセールスにもつなげていきたいと考えています。

〇本市における自由民権運動

明治十年代は、全国的に自由民権運動が大きく高揚した時代でした。この運動は、国民の自由と権利を基調として、国会開設、憲法制定、地租軽減、条約改正、地方自治の五大要求を掲げた国民運動となりました。本市においては、下鶴間が運動の拠点となりました。下鶴間は、矢倉沢往還の宿場であり、明治十年代には繭と生糸の市場も開設され、交通と交易の要衝となっていました。下鶴間は「自由党」との関係が深く、さまざまな政治的な事件も起きています。かつて、本市域においても自由民権運動がさかんであり、「政治に熱い」時代があったということは、その運動中の出来事の功罪も含めてもっと学ばれてよいと考えています。このことも市議会でとりあげています。

〇「大和市」誕生

大和町と渋谷村は、昭和31年9月に合併し、新「大和町」となりました。そして、昭和33年8月26日に町議会は臨時会を開催し、「昭和34年2月1日から高座郡大和町を大和市にすることを神奈川県知事に申請する」ことが全議員の賛成で可決されました。そして、ついに私たちの「大和」は「大和市」となったわけです。振り返れば、1万年以上も前から人が暮らしてきたこの地域を、将来の「大和市民」にしっかりと繋いでいくことは、今を生きる私たちの務めだと思います。そして、この時代に「大和の政治」に関わらせていただけている幸せを肝に銘じて、今後とも「大和とその市民のために」がんばってまいります。