No.93 「大和市自治基本条例」をご存知ですか?

 最近は「憲法改正」など憲法に関する話題が多くなりましたが、大和市にも大和市の「憲法」といわれる「自治基本条例(以下「本条例」という。)」があることをご存知でしょうか?平成17年4月1日に施行された本条例は今年施行10周年を迎えました。本条例は大和市条例の「最髙規範」と宣言し(第2条)、ゆえに大和市の「憲法」と呼ばれてきました。私も議席をお預かりする前、「大和市自治基本条例をつくる会(以下「つくる会」という。)」のメンバーとして本条例素案の策定に関わってきました。その関係もあり、議会でも本条例について何度か質問してきましたが、残念ながら、「ほとんど活用されていない」というのが現状です。
 自治基本条例が施行されて今年で10年。私を含め多くの「市民」が激論を交わしてつくった大和市の「憲法」とはどういうものでしょうか?問題点・課題も含めて考察します。

16歳からの住民投票。

 本条例の目立った規定の一つとして、「住民投票」に関するものがあります。本条例は、住民投票を「常設型」とし(30条)、投票できる年齢を16歳以上としました(31条)。当時、住民投票を16歳以上としたことについては、いろいろな意味で注目され、議会審議でも厳しい意見がありました。
 住民投票できる年齢を何歳にするかは、「つくる会」の中でも、20歳、18歳、16歳と三つ意見がありました。20歳というのは、公職選挙法の選挙権が20歳からというのが理由であり、18歳は、同じく多くの先進国における選挙権が18歳からということを主な理由としていました。ちなみに16歳を主張したのは私です。理由は、(1)義務教育を修了している年齢であること。(2)すでに社会人として生活し、納税者となっている人もいること。(3)女子は婚姻適齢になっており、婚姻した女子は民法上「成年」として扱われること(成年擬制)。(4)住民投票に付すような問題は、そうそうあることでなく、あるとすれば、それは大和市にとって「一大事」である。そのような事態に及んでは、なるべく多くの方の意見を聴くべきであり、なかでも、将来の大和市を担う若者の意見は可能な限り広く聴き反映させねばならないこと。(5)住民投票には法的拘束力はなく、結果は議会等で修正が可能であること、などを挙げました。「つくる会」の中でも激論が交わされ、結果として「16歳」となりました。
 16歳から住民投票できるとしたことは、当然ながら学校教育においても、義務教育終了時にしかるべく住民投票できる「公民教育」をすることを意味していました。それは、とりもなおさず、選挙権を行使する年齢(当時は、20歳、今度は18歳)に達したときにも、選挙権を正しく行使することができるようにするための「公民教育」にもなるはずです。それは、大和市の投票率を上げることにもつながるでしょう。ところが、大和市はこの10年間、ほとんどそういった「公民教育」を実施してきませんでした。私は、一般質問等でもこの問題を質してきました。
 この度、公職選挙法が改正され18歳から選挙権を行使することができるようになりました。もし、この10年間大和市において、16歳からの住民投票に備えた「公民教育」が実施されていたなら、今回の公職選挙法改正に「余裕をもって」対応できたはずです。投票率も向上していたでしょう。今、大和市の投票率は地方選挙では5割にも達していない状況です。大和市がせっかくの実践的「公民教育」の根拠ともできた本条例の規定を活用せずに10年を徒過したことは残念というだけでは済まない問題です。ところが、今でもこの状態を改めていません。私は、大和市自らが「最高法規」とした本条例で規定したとおり、16歳から住民投票を正しく行使できるよう現実的な「公民教育」の実施を今後とも求めていく所存です。

「自治基本条例」の問題点。

 本条例は「大和市の憲法」となるべく、多くの市民がときには夜遅くまで激論を重ねてつくったものです。あの時のことを思い出すと、ほんとにみんな真剣に大和市のことを考えて、惜しみなく時間をかけて議論していました。あのような市民パワーは間違いなく大和市の「宝」であると思っています。とはいうものの、本条例も「人間」がつくったものであることには違いありません。本当の「憲法」が「不磨の大典」でないのと同じように「大和市の憲法」といわれる本条例も「不磨の大典」ではありません。ですから、当時は「それが正しい」と思ったことでも、時間の経過、状況の変化等で現状にそぐわないと思える規定もあります。それは、「本当の」憲法と同じだと思います。そのような規定は、再度検討し、必要なら改正して、しっかり活用できる条例にしていかなければなりません。本条例の中で「問題」と思える規定の幾つかに言及してみます。
 まずは市民の定義について。本条例は市民の定義を住民に限らず、広く「市内で働く者、学ぶも者、活動するもの、事業を営むもの」と規定しています(3条)。条例上の「市民」には、「権利」と「責務」が規定されています。このように、数も実態も「把握できない」範囲にまで「市民」を広げてしまうことに果たして意味があるのでしょうか?このように「市民」の定義を広くすることは「当時」の「流行」でありました。しかし、地方自治法では「住民」だけの権利・義務もあり、実際には、大和市も「市民」を多くの場合「住民」という意味で使っています。また、「市民」を広げてしまったため、本来の「住民」の権利が住民以外の「市民」によって侵害される場合についての懸念も示されています。「市民」の定義については、見直すべきだと思います。
 住民投票については、16歳以上に認められたことは先程言及しました。さらに、本条例は、外国人に対しても住民投票に参加できる道を開いています。本条例には直接「外国人」が住民投票できるとした規定はありませんが、「市民」の定義を広げた結果として、住民投票について具体的なことを定めた「住民投票条例」において一部の外国人にも住民投票権が認められています。これも「当時」の「流行」の一つであったと思います。住民投票は、一種の「参政権」です。本来、国民固有の権利である「参政権」をどこまで外国人に広げていくべきかも再考すべき課題ではないでしょうか。 地方自治だからといって、なし崩し的に国民固有の「権利」を拡大していくことには疑問が残ります。再度検討が必要です。

「自治基本条例」を読んでみましょう。

 本条例は、「市民がつくった、まちの憲法」と「鳴り物入り」で登場しました。「大和市の憲法」というなら、本来大和市民(住民?)は全員本条例を知っているべきではないでしょうか?そして、行政も市民も本条例を遵守していく責務があります。その上で、「改正」する必要があればそうしていくべきです。いずれにしても、施行10年が経過した本条例をまずは是非読んでみて下さい。そして、ご意見をお聞かせ下さい。市民の皆様のご意見が大和市を「より良いまち」にしていきます。「まちの憲法」という以上、「自治基本条例」がそのための規範とならなければならないと思っています。